先月、ひとりの舞妓ちゃんの衿替えがおした。今回は衿替えのお話どす。
「衿替えて何?」て云わはるお方のために説明しますと、読んで字の如く衿を替えることどす。え、「それだけではわからん」てつまり刺繍をほどこした紅いのんやら白いのん、一枚がうん十万もする舞妓ちゃんの派手な衿から真っ白の芸妓はんの衿に替えることどす。そう、舞妓ちゃんから芸妓はんになる儀式を云うのんどす。昔は旦那が出来ると衿替えしたもんどすけど、今はそういったことがおへんさかい、店出ししてから4・5年位たつと屋形のお母はん、姉芸妓らが相談して決めはるのんどす。
もちろん、個人差がおますさかい、ちいそうてかいらしい妓は長いこと舞妓ちゃんしてますし、大人びて(決してふけて、ではおへんえ)見える妓は早いとこ芸妓はんにならはるのんどす。「○×ちゃん、そろそろ衿替えちゃうのん?」「をどり済んだら衿替えやて思うてたのに、お母はんが来年にしぃて云わはるねん。もうかなんわ」「そうかぁ、けど○×ちゃんはおぼこう見えるさかいええやんか。芸妓はんなったら大変やで。若手の芸妓はん仰山いたはるさかい、今までみたいに売れへんで」「けど、うちよか下の妓ぉかて衿替えしてはって、芸妓はんから『姉さん』て呼ばれんのもなんや体裁悪おすえ」
花街では、年令は関係おへん。たとえ一日でも早う店出しした方が姉さん、これは生涯変わらしまへんのどす。せやから、後から店出しした妓が先に衿替えして芸妓はんになっても、先輩の舞妓ちゃんに会うたら、「姉さん」て呼ばんなりまへん。お座敷なんかで、事情の解らへんお客はんがそれを聞いたら「え?」ってなりまっしゃろなぁ。
衿替えの一週間前位から、舞妓ちゃんは黒紋付に三本襟足の正装で、髪は先笄(さっこう)という江戸時代に若妻がしたていう髪形に結うて、お歯黒をさすのんどす。これは昔の舞・芸妓はんは今みたいに自由に結婚とかでけしまへんどしたさかい、かわいそやちゅうていっぺんは若妻の恰好さしてあげたんやそうどす。この恰好でお座敷を廻り、祝い事の時に舞われる「黒髪」ちゅう舞を舞うのんどす。少女から大人へと変わるひととき、その艶やかさに観る者は思わずぞくっとしますえ。舞妓ちゃん最後の日には、髷の先にしっぽみたいに飛び出た髪の元結を、昔は旦那はんが切らはんのどすけど、今は屋形のお母はんの仕事どす。
当日は、朝から姉芸妓・妹芸・舞妓・屋形のお母はんらが集まって、あわただしく準備が始まるんどす。黒紋付に二重太鼓、真新しい鬘をかぶると、きんのまでおぼこい顔してたんが急に大人になったみたいどす。お母はんの切り火を背にして男衆はんに連れられ、80数軒あるお茶屋はんに挨拶回りどす。「お頼申します、お母はん」今日はこの言葉をなんべん口にするんどすやろなぁ。挨拶が一通り終わって屋形へと戻ってくると、お姉さんや姉妹達、お母はんらと「おちつき」て云われる祝膳に向います。お母はんから「よう辛抱しやはったな、これからもおきばりやす」と声かけられると、きんのまでの事が頭ん中を走馬灯のようにめぐって、思わず涙が頬をつたうのんどす。気持ちも落ち着いたら、さあ今夜から一番新しい芸妓としての生活が始まるのどす。
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