明治維新前、八坂神社が祇園感神院だった時に祀られていた仏像を拝みに大蓮寺さんに行ってきました

京都地元民観光

コロナ禍の際は前を通ったら必ずお参りさせて頂いてた、大蓮寺さんに八坂神社崇敬会の催しで参らせて頂きました。

大蓮寺さんは一般公開されておらず、檀家さん以外の参拝者は本堂には上がれません。
10年前ぐらいに今回と同じ八坂神社崇敬会の催しで参拝させて頂いた時以来、久しぶりに仏さんを直接拝める機会に恵まれました。

廃仏毀釈で八坂神社より移された薬師如来像と十一面観音像、十二神将像が祀られてます

コロナ禍中は前を通れば参らせて貰ってたいんですが、境内からのみのお参り、どの角度から覗き込んでも地面からは決して見えず御簾も下がっており。

お近くで薬師如来さんの優しいお顔を拝見して思い人ならぬ想い仏さんに会えたような気持ちになり感激いたしました。

堂内は写真撮影禁止なので、頂いたパンフレットの写真をごらんくださいませ。

神仏習合の時代は薬師如来さんが素戔嗚尊、櫛名田比売が十一面観音とされていたそうです
十一面観音さんは洛陽三十三箇所を廻ってた時にも直接は拝ませて頂いてませんでしたので、たいへんありがたかったです

八坂神社から仏像を運び出したのは市井の人だったそうです。
明治政府の神仏分離令から始まった廃仏毀釈、仏像を捨てたり寺を廃寺にしたりとバチあたりなことをするんですから、きっと中国の文化大革命レベルで狂った時代だったんでしょう。

そんな時代に仏さんを守られた市井の人々の心意気や信心に想いを馳せるひとときでした。

そうそう、バチあたりで思い出しました
以前大蓮寺にお参りに行った時に、神仏習合の話を少し伺ったら
「仏さんは決して罰をあてません」
とおっしゃいました。
素戔嗚尊は巨旦将来に罰をあてた訳ですから、僕の中ではそのあたりの解釈がすっきりしません。
神仏習合時代の人々はどう考えておられたか、いつか誰かからすっきりした答えというか教えを頂けるかなぁと思ってます。

大蓮寺さんへは京都市地下鉄 東山駅から徒歩10分
京都市バス 東山仁王門バス停から徒歩3分です

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